2015年10月08日(木)
レジェンド・山本昌、引退。
[中日ドラゴンズ]
我らがレジェンド・山本昌がついに引退してしまった.
もう一生こんな日なんて来ないんじゃないかと思っていたのに.
長嶋監督にして、国民的行事とまで言わせしめた10.8決戦のあった1994年.
惜しくも優勝を逃してしまったが,この年は,今中と山本昌の両左腕エースが大車輪の活躍を見せた.
名古屋で学生を始めた年で印象深く記憶に残っている.
当時,今中23歳,山本昌29歳.
まさか,今中が先に引退して,さらにその後,14年間も山本昌が現役を続けているとは,この時は想像だに、、、
山本昌のレジェンドの一部でも体感するために,入団した1984年に起きた出来事を振り返ってみた.
- 1月24日 – 米アップルコンピュータがマッキントッシュを発表。
初代マック。
JRなんてまだない。
- 4月1日 – 東京芝浦電気、東芝へ社名変更。
まだ全員集合が放送中。
日本専売公社がまだ存在。
東京ドームがまだ計画段階。
グリコ・森永事件の年。
- 11月1日 – 第2次中曽根改造内閣発足。新自由クラブからは山口敏夫が幹事長として入閣。
NTTなんてまだない。キャプテンシステムとはなんぞや?
山本昌が陽の目を見たのは1987年.
半ば戦力外として派遣された米国留学中に才能が開花.
後半戦に,急遽呼び戻されるや5連勝.
新星・山本昌の活躍で,ドラゴンズも逆転優勝を果たした.
この劇的優勝で私は決定的にドラゴンズファンになった.
山本昌の歴史は,私のドラゴンズファンとしての歴史と言っても良いかもしれない.
当たり前のようにいた山本昌投手が来年からドラゴンズにはいない..
投稿者 sanadas : 2015年10月 8日 22:30コメント
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